生き方の学校について
生き方の学校とは、正しい生き方、人間としての在り方を学び、自らが掲げる大きな理想の叶え方を学び、そしてそれらを日常生活を通して実践することで、社会の発展に貢献できるリーダーを育成することを目指して2024年4月に設立された学校です。
創設者の私自身(プロフィールはこちら)、20代の頃は(2024年4月現在38歳です)、人生とは何のためにあり、どう生きることが正しい生き方であり、人間と言うのはどうあるべきであり、また、大きな理想はあれども、ではどうすればそれを叶えるのかどうか分からずに、深く悩んで生きてきました。
そのため、それが分からずに沢山の失敗をしたと思いますし、大きな遠回りをしてきたと思っています。
しかし、若い頃からのそのような命題との格闘を通して、それぞれに対する答えを確立することが出来ました。
そして、今は正しい生き方、人間としての在り方、大きな理想を叶える方法を確固たるものとして自分の中に持ち、社会の発展に貢献するという大きな理想に向かって日々生きています。
私は、過去の私のように、生き方や人生について悩んでいたり、どうすれば夢を実現することが出来るか分からずに苦しんでいるような方々の助けになりたいと思っています。
そして、そのような大きな理想を持つ方々を、世の中を牽引していくリーダーとして育成させて頂くことで、世の中の発展に貢献することが出来ると信じています。
以上が、私が生き方の学校を創立することに至った理由であり、本校のカリキュラムを通してご提供したいこととなります。
校訓
生き方の学校は、以下を校訓として掲げています。
「一流であれ」
何故この言葉を校訓として掲げているかを以下でご説明致します。
不快に思われる方もいるかもしれませんが、人間にはレベルがあると私は考えています。
これは、短いながらも私のこれまで生きてきた人生経験の中で学んだことです。
人間のレベルを構成する要素として、
- 実力
- 人間性
- 運命
があると私は考えています。
超一流とは、これら全ての要素を兼ね備えた人間です。
運命という観点から見ると、努力では決して到達できない、大きな壁があると私は考えています。
しかし、次に一流の定義を考えてみると、一流の人間とは私は
実力 × 人間性
を備えた人物だと私は捉えています。
ここで、さらにレベルと落として見てみましょう。
一流の人間の下には、二流の人間と1.5流の人間とがいると私は考えています。
二流の人間とはどのような人間か。
これは、実力はあるが、人間的な部分で未熟さあるいは欠陥を抱えている人間だと私は考えています。
皆さんもそのような人達と日常的に関わった経験もあるのではないでしょうか。
シンプルに言えば、確かに凄いけれども人間的に難がある、と言った具合です。
この二流の人間の前にはとてつもない大きな壁が立ちはだかっており、これを私は「二流の壁」と呼んでいます。
二流の壁は想像以上に大きな壁であり、乗り越えられる人間はほとんどいないと私は考えています。
つまり、人間的に難がある状態から、それを克服して一流の人間になることが出来るのは、よほど想像を絶するような苦しみを得ない限りは不可能であると思っています。
一方で、1.5流の人間というのは、二流の人間と比べて実力はないけれども、人間的な部分である程度成熟したものを持っている人物であると定義しています。
二流から一流になることがほとんど不可能であることに対して、1.5流から一流の人間になることは、もう少しの人間性向上と、実力を磨けば十分実現可能です。
つまり、今は技術や知識、精神面など実力としては未熟なところがあるけれども、人間的な土台を備えている方々、そして何よりも大きな理想に向かって努力している方々、私はそのような方に本校に入学して頂きたいと考えています。
そのような将来の大きな可能性を秘めている方々に、生き方や、人間としての在り方、そして自身が抱える大きな理想の叶え方を本校のカリキュラムの中でお伝えし、世の中に影響を与えるようなリーダーになって頂きたいと考えています。
以上のことを踏まえて、私は本校の校訓を
一流であれ
と掲げており、言い換えれば
一流の人間を目指せ
と言うことが出来ます。
もちろん、私もまだまだ未熟な人間です。
だからこそ、私自身がリーダーとなって皆さんに生き方を示し、皆さんと一緒に大きな志の実現に向けて共に生きていきたいと考えています。
このような理念にご共感頂ける方に、本校にご入学頂ければと思っております。